まるであの頃が夢だったかのような。
あの頃が嘘だったかのような。
そんな毎日が私を待っている。
特にやる事は無いけど。いや、やる事はただ私の主を守るべくしてここで見張りをするのが私の役目。
けど、今日も異変は起こらないだろう。
ずっと、これからも。
私の主は強い。だから———。
私は数日前までは野良猫だった。いや、心は血に飢えた猛獣だった。道無き道を歩き、立ちはだかる者には鉄槌を下し自分が他者よりも勝る事を生き甲斐とする、そんな毎日だった。
そんな毎日でも良かった。むしろ、それの方が私は私である事ができた。それでも良かった。それが普通だと思っていた。
けれど、私は負けたのだ。生まれて初めて敗北を期した。そして私は本能で感じた。
「勝てない」と。
彼女は私を徹底的に馬鹿にした。私にこう言い放った。
「私の帽子を取れたら、貴女の勝ちにしてあげる」と。
私は心の底からの怒りに身を震わせながら、ついさっきまで痛めつけられた体の軋む音など耳ともせず、彼女に飛びかかった。無論、帽子を取りに行くなど姑息な真似はしない。全力で彼女に飛びかかった。
彼女はひらりと身をかわすと飛びかかった私の背中側から重い拳。一瞬息が止まる感覚。屈する体を踏ん張る私にもう一撃か、と覚悟した。
しかし、彼女はケラケラと笑い出す。
* * *
「見張り、ご苦労様」
「お疲れさまです、咲夜さん」
「ちょっと隣、良いかしら?」
「あー。咲夜さん、もしかしてサボりですかー?」
「・・・まぁ、たまにはね」
一人分しかない椅子に二人で腰掛ける。
すぐ隣に感じる暖かさが妙にくすぐったくて心地よい。それは私が今まで経験した事の無い、心地よさ。
ああ。私はきっと彼女に憧れてるんだ。
素直にそう思える私の心は、今までにないくらい余裕が出来ていた。あの頃を省みるとどんなに毎日が怖かったか。でも、そういうスリルという考えもある。
実際、私をこうして救ってくれた私の主に感謝しなければならないのかもしれない。
「・・・何ニヤついてるの?」
「え?ニヤニヤしてました?」
「してたわ。まぁ、心配事少なさそうで、何よりだけど」
「そういう咲夜さんは、心配事沢山あるんですか?」
「あるわよ。もうすぐ夏だしね」
そうだ。夏が来るのだ。
あの事件が起こった夏がまた・・・。
「でも、今年は対策出来てるんですよね?」
「ええ。でも重大な問題が残ってるのよ?・・・貴女は大丈夫かもしれないけど・・・。はぁ・・・」
「で、でもきっと何とかなりますよ!私、協力出来る事なら何でもしますから!」
無責任な慰め。そして彼女の怒り。
私は何故か謝りながら、ミンミンゼミが遠くから鳴き始める声を耳にした。
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